カウンセリングをしていると、「なぜ生きるのか?」「なぜ死んじゃいけないのか?」というキーワードがよく出てくる。生きる目的や目標を持っている人でも、生きにくさはあると思う。私自身の個人的な思いでは、「なぜ生きるのか?」ということは正直わからない。自作PCを作ってみたり、ピアス穴を空けてみたりしてみた。やっている最中は、楽しいし、生きているなという感覚を味わえる。しかし、それも短期軸で見た話。長期軸でみると、「なぜ生きるのか?」ということは結局わからない。クライエントから聞かれた時には、「難しい話ですね」とか「僕にもわからないです」と言うようにしている。仏教を勉強すれば、何かしらの答えは出せそうな気はするが、やる気はそこまで出ないのが正直なところ。
「なぜ死んじゃいけないのか?」「消えたい」「居なくなりたい」という気持ちも感覚的には私は理解できるつもりでいる。なんとなく死にたいのだ。生きることは、しんどいし、生きづらい。何も考えていない、または、何も気づかないで生活している人は羨ましくなる。死にたい気持ちに気づいてしまったら、もう無視はできない。無視したくても結構難しい。私自身の考えにはなるが、死にたい気持ち自体を否定することはしたくない。その気持ちも自分の一部なのだから。「じゃあ、どうすればいいのか?」と疑問を感じる人もいると思う。まず最初にやることは、時間の流れに身を任せて、耐えてやり過ごすこと。そして、誰かに相談したい、今の気持ちを伝えたいという時期が来るので、その時に気持ちを言葉にのせて表現してほしい。
潰れた経験がある人、メンタルで苦しくなっている人にしかわからないことも実際にはある。気分が落ちているときの感覚はなんとも言葉にしにくいもの。近くに理解者がいれば、超ラッキーな人です。ですが、そう簡単にいるものでもない。臨床心理士や公認心理師と呼ばれる専門職は、メンタルのことを知識として知ってはいるが、実際の感覚を共有できるのかはガチャ要素が強い。専門職に限らず、この人になら自分のことを話せると思ったら、その人を大切にしてほしい。一般人に話をする際には、広く浅く相談するのも一つの手だと思う。相手によっては、一生懸命に聞いてくれる分、抱えすぎてしまう場合があるからだ。専門職の場合は、抱えることも仕事の一つなので、良き人に出会えたら、ドシドシ相談してほしい。
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